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2009年5月9日土曜日

25. FBIは早起き

(a1.SE時代)

1966年(昭和41年)ころ、日本IBMの大阪営業所は営業、SE合わせても100人
以下の比較的小さな営業所で、営業課は3つくらい、システム課は1つでした。
その頃、営業所の中で釣りの同好会ができ、その名前は「FBI」でした。
Fishing Boys of IBMのつもりで、何故か男性社員ばかりでした。
FBIのメンバーは約10人で、アメリカの連邦捜査局(FBI)と同様(?)皆早起きでした。
なにしろ、海釣りに行く時などは、和歌山の湯浅当たりの現地集合6時まででしたから。
湯浅で釣り船を出してもらい、アジやサバ、イサギなどを釣りました。
ある時などは、豊漁でクーラー一杯のときもあり、他の人のクーラーのすきまに
入れてもらいました。
吉野の渓谷でマス釣りを楽しんだりもしました。
しかし、営業所の規模が大きくなった1971年ころには、FBIは自然解消したように
思います。
特に1971年は、日本の高度成長の真っ只中で、日本IBMの新入社員は2000名
を越え、当時システム課長になったばかりの私も、東京の教育部の支援に
狩り出され、マーケテイング・コースのロールプレイで客先部長の役を
担当したりしました。
おかげで営業所の体制も強化され、客先も徐々に増えました。

2008年6月2日月曜日

24.フリーウエイで車がスピン

(a1.SE時代)

 1971年(昭和46年)9月から12月まで日本IBMの同僚のKさんとニューヨークに
滞在したときのことです。
当時(今もそうかもしれませんが)日本IBMでは、毎年5-6人のSE
(システムズエンジニア)をアメリカのIBMの教育研究期間である
SRI(Systems Research Institute)に、送っていました。
そこはSEの大学院のような所で、コンピュータに関するさまざまなテーマ
(言語、シミュレーション、通信システム、システムデザインなど)を研究し
生徒である全世界のSEに教える施設でした。
1回100人くらいのSEを集め、大学のように科目を自由選択させます。
当時はSRIはニューヨークの国連本部の前の5階建て位の小さなビルにあり、
私はレキシントンホテルからバスで通学(?)しました。
10月頃、Kさんと相談してナイヤガラの滝を一泊旅行で見に行くことになり、
大きなセダンのレンタカーを借りて、フリーウエイ(高速道路)のルート87
(87号線)からルート90のシラキュースに一泊しバッファローまで
車を走らせました。

その初日、たしかルート87を北上していたときと思いますが、
横を走りすぎる他の車のドライバーが窓から手を出し何かを合図します。
他の車も同じように合図するので、道の右端を走っていた運転手の私は
車を止めて点検しようとブレーキを掛けたとたん、タイヤがキーッと音を立てて
車が左にスピンし、4車線の真中で道路にほぼ直角に止まったのです。
後続の車がなかったので、我々は命拾いをしました。
当時日本の車はパワーブレーキでなかったので、ついブレーキに力を入れ過ぎた
のです。よく見ると左折のランプが点滅していました。
どこかで左折したとき、左折ランプを点滅させ消さないまま走っていたので、
他のドライバーが注意してくれたのです。
とにかく命拾いして、無事にきれいな公園のようなシラキュースに着き、
翌日カナダ側へ行きナイヤガラの滝を見物できました。
高速でスピンしたのはこれが最初で多分最後でしょうが、忘れられない事件です。
(蛇足ですが、ニューヨークの北のルート9号線は秋の紅葉がすばらしい道です)

2008年1月14日月曜日

21. ローマの道をアルファロメオで

(a1.SE時代)

 
 1965年10月頃日本アイ・ビー・エムでの新入社員教育が終わりSE(システムズエンジニア)になりました。
SEという仕事はユーザーでのコンピュータのシステム作りを提案・支援する仕事です。
最初の担当客先は関西電力でした。世界初のオンラインによる燃料経済配分システムなど意欲的なコンピュータシステムに参画できたのは幸運でした。
さらに1969年5月ローマにあったIBMの公共事業センターにトレーニ-として3ヶ月アサインされローマに滞在しました。
これは公共事業のシステム化営業を支援する10数名の国際的な組織で、世界の電力・ガス事業などのコンピュータ化の状況・システムを、研究して、システム販売のための情報を各国に配布するのが主な使命でした。
英会話は約3年間会社の志望者教育(始業前1時間英会話などを選択受講できた)を受けてTOEICやっと600点を越えました。
メンバーはマネジャー/ワクテル(アメリカ)、ステファン・インゼルシュタイン(ポーランド出身南アフリカ)、ミギンド(デンマーク)、ヘルムート(ドイツ)、ユーミッド(トルコ)、モハン・ラオ(インド)、ジャン・ピエール(フランス)、デビッド・サルツハウス(イギリス)、ナンシー(アメリカ)、秘書/パレスキ(イタリア)と私で、一時サッシャーアジミ(イラン)が滞在しました。
当時このセンターはイラン国営電力へのコンピュータシステムの提案書を作成中でした。私はこのプロジェクトに参加し周波数制御などのページを担当しました。英会話は何しろTOEICやっと600点ですから会議で発言などは無理で、議論もやっと半分くらいしか理解できませんでした。しかしこの経験のおかげで「英語で口論できなければ仕事にならない」と後日英会話の勉強に挑戦できました。
ヨーロッパの人達は生活を楽しみながら仕事をしている感じで、ある金曜日などは夕方急にローマの海岸(アスティア)で泳ごうとミギンドが言い出し、皆で2台の車でアスティア海岸まで行き、すもうを取ったり、泳いだりして遊びました。
ある時は、ジャンピエールが私を彼のアルファロメオの助手席に乗せて、ローマの空港に近い郊外の細い道を時速180キロで走ってくれました。アルファロメオに乗ったのはこれが最初(で多分最後)でした。180キロになると向こうの道路がこちらへどんどん飛んでくる感じで少しこわかったのを覚えています。のちに、自動車会社に勤務し、メルセデスベンツ、BMW、ボルボなどに乗る機会がありましたがスポーツカーは初めてで、その速さと格好のよさに感動しました。7月に勤務が終り帰国後もサルツハウスやモハンラオとは数年間クリスマスカードのやりとりをしました。IBMは多国籍企業ですがこのような国際チームで日常の仕事をするのは比較的まれで大変幸運だったと思います。