2010年4月27日火曜日

29. 日米同盟でドイツ本社に対抗? 

(a3.マネージャー時代)

 1988年頃から2007年頃までは、転職したダイムラーグループにとっても
変革の時代でした。
東西ドイツが統一された1990年以降、グローバル化する自動車産業に
遅れてはならないと拡張路線をとり、1998年アメリカのクライスラーを
吸収合併、2001年三菱自動車との資本提携、2007年クライスラー分離など
めまぐるしい変化に対応するためドイツ本社は情報システムについても、
各国の現地法人を含めて、種々の改革をすすめました。

 たとえば1994年頃は社内の情報化で、各国にいわゆるグループウエアと
いわれる通信/データベースシステムの導入をすすめました。
それ以前から、毎年1、2回は情報担当部長クラスの会議(20人くらい)
が開かれ、本社(海外)情報部門と各国との協調を進めました。
会議の場所も国際会議のためドイツ以外のヨーロッパ各国持ち回りの
ような状況でした。(フランス、イタリア、ベルギー、スペインなど)
しかし会議は当初ドイツ語でしたので、私とアメリカからのモロッチ氏は
議論できないので、本社チームは同時通訳の女性を採用してくれました。
つまり、モロッチ氏と私の間に同時通訳をおいて、すべての会話を
英語に通訳してくれるのです。
おかげで何が議論されているかは十分わかりました。

 グループウエアについては、日米はすでにノーツというソフトを導入し
社内掲示板などで活用していましたが、本社はそれをマイクロソフトの
グループウエアに統一したいと言いだしたのです。
当時ヨーロッパにくらべて日米は情報システムが進んでいたので、
モロッチ氏と私はこれに反対し本社の決定を変更させました。
他にも販売支援システム、データベースなどでは、
モロッチ氏と連携して本社の独断(?)に対抗しました。

 ただ、同盟の失敗もありました。
ローマで会議が開かれたとき、モロッチ氏と私は休日にトレビの泉などを
観光したのですが、一人のアメリカ人が近づいて近くに良い居酒屋があると
いうので、そこにいくと、大きな赤い扇子が飾ってあり異様な雰囲気でした。
モロッチ氏はすぐにそこが一種の暴力バーということに気がつき、
すぐに出ようということになり、一杯だけビールを飲んで店を出ました。
ビール代は二人で日本円で約5万円でした。