2009年5月14日木曜日

26. 出演料払ってカラオケ

(a3.マネージャー時代)

1978年(昭和53年)4月、ついに私は東京転勤の辞令を受けました。
当時からIBMは I'v Been Moved (移動させたれた)の略だという話が
あったほど、転勤は珍しい事ではなかったのです。
しかし私は関西が好きなのでかなり抵抗があり、家も母の離れを新築して
1年しか経っていなかったので、家族も大変でしたが、
13年間お付き合いいただいたご近所と別れて一家5人が東京に移転しました。

 東京での職場は営業所と違って本社教育部でした。
教育部はお客様のシステム担当者、管理者、経営者に対する講習と、
社員に対する研修が主な仕事で私は社員教育担当部でした。
4月に配属になったグループでは私の歓迎会を兼ねて、飯能市の川原での
ピクニックと野草採りをしてくれました。
今から考えれればのどかな時代でした。

 教育部のメンバーはいずれもカラオケが好きで、部員懇親会などでは必ず
カラオケを楽しむのですが、いつもマイクの奪い合いになるので、
あるときからは、出演者が1曲ごとに出演料500円を払うルールになりました。
机の真中に紙箱を置き、そこに500円!とか2曲分1000円!とか言ってお金を
入れるのです。
「天城越え」「さざんかの宿」「氷雨」などが人気曲でした。
 
 主任以上のSE(システムエンジニア)の技術教育で、
ニューヨークから講師を招いたり、自分も通信システムの講習を担当したり、
天城研修センターでお客様の経営者セミナーの手伝いをしたり、
充実した経験のできる職場でした。
1981年4月東京の営業所のシステム次長として転出するまで教育部にお世話に
なりました。
今はIBMの研修は会社の本業でないということで別会社組織として実施
されているようです。

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