2011年11月6日日曜日

32. 電車の上で阪神・淡路大震災

 (a3.マネージャー時代)

  ダイムラー(メルセデス・ベンツ)に勤務中の1995年1月7日、
あの阪神・淡路大震災が起こりました。
あれから16年の今年2011年3月11日、さらに大きな東北大震災が起こり、
いまだにふるさとへ戻れない人が大勢います。

 16年前の1月7日は月曜日で、単身赴任中の帰宅先(奈良)から、
東京の会社へ戻る日でした。
その日は9時半から経理部と情報システム部との会議が予定されていました。

 いつもは、家を朝5時10分位に出て、近鉄高の原駅発5時38分に乗ると
京都発6時15分の新幹線で、9時には六本木の会社に着いています。

 その日はいつものように近鉄京都線に乗って、しばらくすると新田辺
付近で、電車が停まりました。社内アナウンスでは「地震のためしばらく
停車します」とのことで、約2時間後やっと動き出しました。
それが、約25万軒全半壊、約6440人死亡の5時46分の阪神淡路大震災でした。

 10時頃着いたJR京都駅のアナウンスでは、神戸方面の地震のため、
東海道新幹線は名古屋以西停まっており、しばらくお待ち下さい
と言うばかりで、状況がわかりません。
たまたま持っていたラジオで、阪神地区で大地震があり、地域のすべての列車が
止まっているなどを知りました。

 約2時間京都駅で待ちましたが、京阪電車と新幹線名古屋以東は動いている
と知り、京阪電車で大阪に行き、淀屋橋からたタクシーで上六、上六から
近鉄大阪線で名古屋に、名古屋から14時20分の新幹線こだまで東京に戻りました。
日比谷線神谷町から会社へ着いたら夕方5時40分、勿論会議はとっくの昔に
終っていました。
 その後、震災の被害の大きさをニュースなどで知り、
東京へ無事に戻れただけでも幸運と思いました。
あわてていたためその時は、近鉄八木駅経由で名古屋という別のルートを
思いつきませんでした。
神戸の友人の家も半壊し、引越せざるをえなくなりました。

 このとき、固定電話がつながらない一方、携帯電話が比較的
つながりやすいことがわかり、会社では2月から全部門マネージャーに
携帯電話を持たせることになりました。
全フロアに保存食料や水を置くなど、このときの総務部の対応が大変早かった
ことを覚えています。

 この時以来自分でも、外出時には携帯電話やラジオなど通信手段を
持つようになりました。
災害の時、何がどうなっているのかわからない程不安なことはありません。
この時の経験から、種々の災害対策が全国的に実施されたので、
東北大震災でも、生かされたことが多々あったと思います。
(メデイアではあまり報告されていないようですが)

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