(6.高校時代)
高校は大阪の高校でしたが、私は田舎の中学出身なので数学などは教科の進度が遅れていました。数学の先生は怖い人で、私語をするとチョークが飛んできましたがやさしい人でもあり、授業の始め私に「中学ではどこまで進んでいたか」を聞いてくれ「二次方程式までやりました」というとその次からそこから授業を進めてくれました。
今でもそうでしょうが、生徒たちはすべての先生にあざなをつけて面白がっていました。「張子の虎」、「バケツ」、「お父ちゃん」などなど。黒板拭きを教室の戸(当時はすべて引き戸でした)のすき間の一番上にはさんで先生が戸を開けると落ちるようにしましたが、先生は慣れているのでなかなかひっかかりませんでした。
一年は柔道部に入りましたがきつくて下宿の階段を這って登るような日もあったので、2年からは退部しました。1年の途中だったと思いますが音楽部に入り、合唱などを楽しみました。2年の後半から部長をやらされ、例年どおりの音楽会を開催しました。プログラムに載せる広告取りも部長の仕事でした。「夏の思い出」などよく歌いました。
3年の時だったと思いますが運動会での校歌合唱を指揮しました。
1000人以上の合唱の指揮は大変で緊張し足がふるえました。
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