(8.大学時代から40才くらいまで)
夏休みで実家に帰ったとき、(多分大学の2,3年生のころ?)母が3階の納戸から、父の手旗を
出して見せてくれました。父は戦争中、軍属として輸送船に乗っていたようですが、船同士の連絡などには手旗信号を使っていたようです。手旗は大きさ40X50センチくらいで、60センチくらいの柄がついており、当然赤と白の2つの旗がありました。紙箱に入れてあったような気がします。
その時だったと思いますが、父の勲八等白色桐葉章と額に入れた賞状を見せてもらいました。
実家では額を掛ける場所がなかったのでしょう。掛けられた額を見ていませんが、後に結婚後、母と同居したとき、母の部屋(37才のころ高田の家に離れ座敷を建てました)にはちゃんと飾ってありました。
しかし、後に東京転勤になり、関西へ帰ってからも、母と同居でしたが掛けられた勲章の額をみていません。
平成時代にはいって、勲章に等級があるのはおかしいということで、議論になり、今は勲章に何等などと区別しなくなりました。父の功績が他の7等の人より劣っていたとは考えたくないし、なくなった人に「あなたはxx等です」と言うのも失礼ではないでしょうか。
そのような世間での議論や、戦死者などに勲章を与えること自体が、国民を戦争に狩り立てる手段や仕掛けになっているという思いが母にもあったのではないかと思います。
ニューヨークの同時テロの翌年2002年末、母が86才でなくなったとき、遺された物を整理しましたが、
その中には、勲章や額、手旗がなくなっていました。
私が知らない間に母がそれらを処分したのでしょう。
どのような気持で、母が父の勲章を捨てたのか聞きたかった気がします。
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