(6.高校時代)
高校は家から通学すると片道2時間かかったので、大阪に下宿させてもらいました。
高校3年間になんと5回も下宿先をかえ、同級生には「趣味は引越し」と言っていました。
最初は美章園の親戚の家でした。この親戚も戦争中家の近所に疎開していたので、よく知っているお家でした。
叔父さんは祖父の従兄弟だったので父は「はとこ」の関係でしたが、叔父さんとその三人娘と同居しました。
3人とも私より年上でしたが大事にしてくれました。
その後、2学期は家から電車通学をし、3学期は梅田の曽根崎警察署の裏側の町(兎我野町)にあった砂糖問屋さんに下宿しました。下宿先を変えた理由は覚えていません。
問屋さんは家の食料品店の大阪中央市場での取引先でした。
広い店の土間に砂糖の袋が山ほど積んでありましたが、その砂糖をなめた記憶はありません。
食事は問屋さんの住み込みの若い店員さん5、6人と一緒でした。
期間が短かったので残念なことに仲良くなった店員はいません。
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