2008年1月14日月曜日

8. 合唱団のオーディション 

(5.中学時代)

 昭和28年4月から中学生になったのですが、まだまだ小学生の気分が抜けていなかったようです。1年のときは女の先生でしたが、さすがに遠足の時におんぶしてもらいませんでした。しかし夏休み日記に毎日裏の川で魚とりや、石積みして堰遊びをした様子を書いたので先生から「そろそろ受験のことも考えて勉強しなさい」と日記にコメントを書かれました。
私の中学は合唱コンクールの地区大会で金賞を何度も取っています。
私は音楽が好きでその合唱団に応募しましたが、オーディションで不合格となりました。オーディションで歌った歌は覚えていませんが。
しかしこの恨みが終生忘れられず(?)、高校では音楽部(後には音楽部長ですぞ)、大学では男声合唱団、退職後も一時合唱団に入るというように、音楽から離れられなくなりました。
多分父親が音楽好きで、出征前は青年団でバイオリンやマンドリンを弾いていたという遺伝子をもらったからでしょう。合唱団の代わりにクラリネットに挑戦しましたが指の長さが足りなくて「シ」の音が出せずあきらめました。
スポーツの方は1年から2年まで柔道部でしたが熱心でなかったのでしょう。初段もとらずに卒業しました。寒い冬の朝汗が凍り付いた柔道着を着るのは痛くてきつかったです。得意は背負い投げでした。当時はけんかには負けなかったです。

多分2年生の時、遺族会から町の中学生の集団旅行で東京の靖国神社に参拝しました。
特急のなかった時代です。当時は靖国神社に祀られることは家の名誉でした。
今思えば靖国神社は国民をいくらか安堵させて死地に送り出すための戦争装置だったのですが当時の私は単純でした。修学旅行も東京だったので、中学時代に2度も上京したことになります。
修学旅行の旅館で、戦争中近所に疎開し後に東京へ戻った幼友達の女の子と再会したのも遠い記憶です。その後彼女とは東京転勤時代に1、2度会っただけですが。

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