(4.小・中学時代)
母の里は家から4キロほど西の紀ノ川の近くでした。
2才の頃、弟が生まれたので、数週間私は母の実家に預けられたと母から聞きました。
勿論その頃の記憶はありません。
しかし小学校前からよく母と弟達と一緒に母の里へ遊びにいきました。勿論泊りがけです。
小学生と中学生の夏休みは決まって、1週間以上里に泊まりました。
母の里は梨園で普段の家(下の家)と別に梨園の山に家があり、
山の家では梨をたらふく食べたり、蝉を採ったりしました。
山の家の夕方は、蚊が多いので祖母が蚊くすべ(蚊遣り)のため松の小枝を折って
土間でくすべて(焚いて)くれました。
下の家では庭の木(大きな伽羅(きゃら)の木)に登ったり、川に泳ぎに行きます。
子供にとっては天国でした。
近所に母の妹の家や、祖父の妹の家があり、よく遊びに行きました。
駅から母の里まで歩いて20分ほどでしたが、母と一緒に歩く道は、当時は地道でしたが
わくわくする楽しい道でした。
母と一緒でないときは、小さい頃は実家の叔父(母の弟)が自転車で迎えに来てくれました。
小学校の頃、叔母(母の妹、当時独身)が結核のため実家で寝ており、短歌などを作っていました。そのそばで色々話をしました。
短歌にあったのでしょうが、当時東京上野の駅の付近や上野公園には大勢の孤児(みなしご)がおり、食べるものを得るのさえ大変だったとききました。多分彼らは私とほぼ同じ年頃と思いますが、その後彼らはどのような運命をたどったでしょう。
母も叔父も叔母も数年前なくなりましたが、上野の子供達と比べてはるかに幸せな子供の頃を過ごせたのは母の里のおかげでもあるでしょう。
蚊遣にと祖母焚きくれし松小枝 常朝 (運河2006年10月)
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