(8.大学時代から40才くらいまで)
私の学生時代は個人にとってインターネットなど世界と簡単につながる通信のしくみはなかったので、外国と通信する方法は、ペンフレンドあるいはアマチュア無線くらいでした。
親友のK君は、フィンランドの女の子とペンフレンドとなり何度か英語で手紙のやりとりをしていました。
私は機械にも興味があったので、アマチュア無線をはじめました。
アマチュア無線は今でも資格と簡単な無線機があれば誰でもできますが、国家試験が必要な趣味です。
大学一年のころ、そのアマチュア無線技師2級の試験を受け、運良く一回で合格しました。
2級は、電波の出力が100ワットまでできますが、無線電信のトンツーの試験もありました。
Aはト・ツー、Bはツー・ト・ト・ト などと覚えて、キーを叩き送信し、受話器で聞いて受信するわけです。
無線機は、キットを買って組み立てましたがそれでも100ワット級のは10万円はしたので、学生時代は手がでず、就職してから、機械とアンテナを購入し開局しました。
就職の数年後建てた家は大和高田市で、当時無線をする人が少なかったのでしょう。
電波を出すと、全国から同時に何十人もの無線家から応答(コール)をもらいました。
またたくまに、多くの人と交信ができました。
アンテナを水平に回転する装置もあったので、アンテナをヨーロッパ方向に向けてフランスやイタリアなどと交信したこともあります。
その後東京に転勤になり、調布市で無線機をセットし、しばらく交信をしていたある夜、京都の無線仲間のU氏から電話があり、今南極が出ているよと教えてくれました。
電波がつながりやすい日・時間帯とそうでない日があるのです。
直ちに、14メガヘルツの電波を頼りない高さ6メートルほどの垂直アンテナで電波を出すと、昭和基地から応答をもらいました。そのときの交信カードは今も保存しています。
一万キロ以上離れた遠い南極と交信できたとは信じられないようで興奮しました。
(南極昭和基地との交信カード 表)
(南極昭和基地との交信カード 裏)
(1978年11月23日GMT13時41分:日本時間22時41分)
(愛用した無線機TS520Xと屋上のアンテナを回転させるローター)
(南極交信は調布の借家の屋上の垂直アンテナを使用しました)
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