2008年1月14日月曜日

15. 本の中の場面:ラザロの復活 

(7.大学時代)


 大学の教養課程の時代は、割合時間がありました。
夏休みなどは、実家の近くでアルバイトの家庭教師をしたり、親戚のテレビを組み立てたりしました。

 当時は真空管の白黒テレビで、日本橋でキットを買ってくれば、1日でテレビを組み立てることができました。
半田こてとドライバーだけで、当時4万円以上のテレビが2万円位で組み立てられ、1万円位も謝礼をもらい貯めたお小遣いで、アンプを組み立てたり、本を買いました。

 なぜか学生時代は文学全集を読もうと決め、河出書房の世界文学全集や、新潮社の日本文学全集を順次買い、殆ど読みました。今から考えるとよく時間があったのだなあと思います。
堀辰雄の「風立ちぬ」、ヘルマンヘッセの「車輪の下」などが好きでした。

 その中でドストエフスキーの「罪と罰」もありました。そのストーリーは殆ど忘れましたが、主人公のラスコーリニコフの恋人のソーニャが聖書の「ラザロの復活」のところを彼に読んで聞かせる場面だけが強く印象に残りました。

 家は日蓮宗でしたが、当時の私はさほど宗教心がなく、悩んだ時聖書あるいはお経の本を読むなどは、とても考えられなかったからです。

 その後、出張などでホテルに泊まったときに、よく部屋に置いてある聖書を、ぱらぱらとめくり、ラザロの復活の場面だけを読むことが何度かありました。

 キリストは死者のラザロを復活させる奇跡を起したために、磔刑(はりつけ)にされたのでしょう。
その後、30才台で病気になったとき、同期の友が贈ってくれた「般若心経」の解説本を読んだりして、徐々に宗教に関心を持つようになりました。

 だれでも病気や災難にあうとか、年をとるとかすれば、「人はどこから来てどこへ行くのか」とか、自分の生き方を考えるように(少しは哲学的にあるいは宗教的に)なるようです。
読んだ本の中身は殆ど忘れたので、読書自体はあまり役に立たなかったように思いますが、
少なくとも、外国や古き時代を想像できたり言葉や物の名前を覚える役には立ったでしょうね。

0 件のコメント: