2008年1月14日月曜日

3. 校舎の屋根の宝物 

(3.小学校のころ)



 小学校はその頃6組あり、何故かずっと1組でした。入学は昭和22年4月でした。
小学校の校舎はもちろん瓦ぶきで木造2階建て、大きな講堂がありました。
校門をはいると正面に五葉の松の木があり、右手に奉安殿(天皇陛下の御肖像を安置する建物)、玄関左手に薪を背負った二宮尊徳銅像がありました。
講堂の右手だったと思いますが、畳敷きの部屋があり、2年のときはそれが1組の教室でした。多分小学校は以前裁縫学校(旧小学5年相当)でもあったので裁縫などを教える部屋だったのでしょう。1年から3年は担任が女の先生で、特に1年の時の遠足は、自分の家の畑の近くの峰山という山に登ったのですが、途中で歩かなくなり先生におんぶしてもらったのを覚えています。
1年の秋の学芸会では浦島太郎役をさせてもらい衣装の脚半などは母が縫ってくれました。4年から6年は男の先生で、昔の戦争の話をよくしてくれました。
源平合戦や南朝・北朝の戦などがとくに面白く聞かせてもらいました。
友達2人と仲良し3人組を作っていたのですが、卒業の前に、校舎の屋根の鬼瓦の裏に宝物(珍しい貝か何かだったのでしょうが忘れました)を3人で隠しました。
勿論その校舎はその後、コンクリートに建て替えされたので我々の宝物は永久に失われました。人類にとって惜しいことです。

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