(a2.子育て時代)
1978年(昭和53年)4月から、東京転勤になり当時のIBMの教育部に勤務し、
調布市に転居しました。
子供たちはそれぞれ6才、3才(ともに男子)になっており、
上の子は飛田給小学校に入学し、2年からボーイスカウトに入りました。
1965年頃から日本は高度成長期に入り、どこの会社や商店も社員は猛烈に
働いたので、ほとんどの父親は家庭のことは母親に任せっぱなしでした。
私も同じでしたが、子供の成長期に先輩後輩のいる団体生活を経験させるのが
大事だろうと妻と相談して、上の子が小学校2年になった年から、
ボーイスカウトに入団させました。
ボーイスカウトは、小学校2年から5年まではカブスカウトといって、
いわゆるボーイ隊の下の幼年隊として活動することになっています。
その場合、母親はデンマザー、父親はデンダッドとして、ボーイスカウトの
行事に参加することになっていました。
カブスカウト隊は、ほぼ毎週1日近くのボーイスカウト基地(といっても
高速道路の下の空き地でしたが)に集まり、団長やリーダー(シニア隊員)
のお兄さん、お姉さんの指導で、ハイキングやロープの結び方の訓練など、
自然でのサバイバルの訓練を受け、夏休みなどは、多摩川上流の養沢などに
キャンプにいきます。
キャンプの時などはデンダッドの私も参加して、子供たちの活動の監視や、
植物の名前を教えたり、きも試しの脅かし役をしました。
真っ暗な山の中で、きも試しの子供が通るのを変な声を出しておどろかすのが
任務のひとつでした。
上の子は仲間の子供達と比べてこわがらないとリーダーに誉められて
父親の私はひとり喜んでいました。
互いに離れた所で二人一組のキャンプも訓練としてありましたが、
たまたま夜の雨となり、なかなかきつかったようです。
下の子は白糸台幼稚園から小学校に入り2年になると入団しました。
多分その頃(1982年)だったと思いますが、指導者講習会にも出席し、
救命処置の訓練(包帯、人工呼吸など)も受けました。
1983年か1984年頃まで、私もボーイスカウトの活動に参加しました。
上の学年になるほど子供たちも忙しくなり、徐々に隊の活動から抜けるよう
になりましたが、自然の中で団体生活を経験したことは、
多分何らかの形で役に立っていると思います。
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