2008年1月14日月曜日

4. 配給の行列 

(4.小学校のころ)



 戦時中から敗戦直後は食糧難だったので、各家庭が一定の物しか買えない配給制度でした。家は食料品店だったので、戦後配給のため米国占領軍の援助によるコーリヤンの袋がトラックから大量に降ろされたのを覚えています。配給の時間には、店の前のトラックが一台やっと通れる狭い道路に沿って、30~50人くらいの主婦が並びました。その行列のすき間から近所の2才の男の子が飛び出し、走ってきたトラックに引かれなくなりました。畑の食物も充分でなく、さつまいものツルや土手の「のびる」などを摘んできておかずの足しにしていました。配給の行列がなくなったのは昭和25年頃だったでしょう。

しかしラジオでは、「鐘の鳴る丘」の主題曲「とんがり帽子」や「リンゴの歌」が流れ、物資の乏しい中にも戦争中の圧迫感から解かれた開放感がありました。今のような格差社会とは異なり、みんな貧しいけれど、みんなに希望のある、青空の高い時代でした。小学校では、社会科の自由研究で、地方の産物などを調べて発表したようです。これは幼友達から聞いただけで、私は殆ど覚えていませんが。冬の夜は地区ごとの子供仲間で「火の用心」とさけびながら拍子木を打って歩き、夏は、金毘羅祭、八幡祭、天神祭、地蔵祭、盆踊り、花火大会など次々に来るイベントに参加できる平和な時代を過ごすことができました。

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