(7.大学時代)
大学は高校の同級生2人と同じ大学の工学部の電子工学科へ進学しました。
当時、トランジスターが世に出て、従来の電力や通信と異なる情報処理分野の基礎として、電子工学が流行(?)しはじめ、電子工学科は新しい学科として人気があり、結果として入学がむずかしかったので、3人が挑戦したわけです。運良く3人とも合格し、技術畑へ進みました。
ただ当時の電子工学はトランジスターのための半導体などの技術研究が中心で、その応用分野である回路やコンピュータはまだこれからといった感じでした。
最初の1年半は教養課程で、英語や日本史、数学などを勉強しました。当時は日本史などは興味がなく、あまり勉強しませんでしたが、今思えばもっと関連の本などを読んでおけばよかったと思います。
私以上に歴史を知らない(深く考えない)政治家や官僚が多すぎる現状は、困ったものです。
また70年前と同じ過ちを繰り返すのではと心配です。
後半2年半の専門課程で、あるとき回路理論の授業で、M教授が、黒板に回路図を描かれました。
そしてこの回路はIBMの回路(たしか真空管による記憶回路だったと思います)だといわれたのです。私はびっくりしました。私は大学や国の研究機関の研究が最高レベルで、大学の授業で民間企業の技術が講義されるとは思っていなかったからです。大学の授業で紹介される技術を持つとはすごい会社だと思い、記憶に残りました。
その後、卒業研究は仲間6人でコンピュータの論理回路(計算をする回路)の勉強をし、今で言う電卓の回路をトランジスタで構成する研究をO教授や、他の先生方の指導のもと、何とか設計しました。
(設計と言っても物理的な回路図以前の論理設計ですが)
4年次の夏ごろ就職活動では日本の電器メーカーの工場見学などをしました。
当時(1963年、昭和38年頃)工学部は売り手市場で希望する企業へほぼ全員が就職できました。また40人のクラスのうち、約15人も大学院へ進学したのでなおさらです。担任の教授が各社最高2名などと就職者の人数を割り当てて調整をしてくれました。
結局私は国産メーカーでなく、授業に出てきたIBMの日本法人である日本アイ・ビー・エムに応募し合格しました。技術がすごいらしいと思ったこととこれからはコンピュータの時代だろうと思ったからです。いわば黒板の回路図が私の人生を決めました。
3 件のコメント:
げんきでthth
how are? you i
how are you i,m fun . you are fun . tell me,tell me .
can you tell me.yusuke
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2008/1/23(水) 午後 8:07 [ yusuke ]
お元気ですか!今回はIBMの黒板のお話を楽しくよませてもらいました。アカシア紀行も見せていただきました。毎回毎回行った先の話や写真など丁寧に書いておられて感心しました。これからもがんばって楽しいお話を聞かせてください♪応援しています!
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2008/1/23(水) 午後 8:12 [ yoko ]
Dear Yusuke
Thank you for your memo !
I was surprized to see your memo on blog !
I am OK, genki desu.
Please see my blogs again.
From Jicchan
Yokoさん
コメントありがとう。
このページはヤフーのブログです。
今後はGoogleの方のブログに書きます。
どうぞよろしく。
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2008/1/26(土) 午前 9:18 jocho
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